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初めてサバキチャレンジ世界大会に出場したのが

2001年、19歳のときだった。

サバキチャレンジは毎年アメリカ合衆国コロラド州のデンバーで開催されている。

初めての海外でもあった。

この時はとにかくサバキチャレンジに出場できる喜びと、アメリカの大地の壮大さに

圧倒されっぱなしだった。

 

     ロッキー山脈「red rocks]

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サバキチャレンジに向けての稽古はとても厳しかった。

厳しい練習に正直めげてしまった時期もあったが、

なんとか仲間や先生、家族のサポートのもとで大会の日を迎える事が出来た。

 

デンバーへは大会までずっと練習にパートナーとして付き合ってくれていた

三村が同行してくれた。

二人で渡航費を稼ぐために日雇いのアルバイトもした。

(近所の人や親せきの援助もあり、なんとかなりました。その節は皆様ありがとうございました。)

 

期待で胸を膨らませ、14時間のフライトはあっという間だった。

サンフランシスコからデンバーまでの乗り継ぎ便は

国際線の大きな飛行機と違い小さな機で、また気流の乱れもあり

不覚にも酔ってしまった。

気持ちが悪くてふらふら降り口に向かっていると、視線の先には二宮館長の姿があった。

二宮館長がわざわざ二人のために自らの手で運転し迎えに来て下さったのである。

 

一気に酔いはさめ、浮かれた気分は吹っ飛んでしまった。

それからのことは緊張してしまってあまり覚えていないが、お土産を渡すタイミングを間違えてしまい

慌てた記憶だけがのこっている。

 

デンバーは標高がとても高い位置にあり、平地でも富士山の6合目程の高さ

があると聞いていた。

空気に慣れるために、試合の10日前にデンバー入りをし、

毎日しっかり走りこみをした。

普通に生活をするにはわからないが、少し走るとその空気の薄さを実感する。

走り終わると筋肉痛と吐き気と眠気が襲ってきた。

しかし3日も走りこみを続けているとそれにも多少なれ、気持ちにも余裕が出てきた。

 

私たちはデンバー市内のホテルに泊まり、稽古したいときには自由に道場へも

行かせて頂いていた。

 

午前中に走りこみをし、昼はホテルの前にある「アップルビーズ」というレストランの

T-ボーンステーキを食べ、夕方まで近所をうろうろ探索し、

夕方また三村と二人で練習する。という日が

5日ほど続いた。

その間、当時内弟子であった滋賀の矢頭支部長、福岡の本田指導員には大変お世話になりました。

 

IMG_0004.jpg      レストラン「apple bees] 

 

しかし5日を過ぎたあたりから雰囲気が少しずつ変わり、

ファイター達の姿をホテルで見かけたり、

本部道場でのイベントや、大会準備など慌ただしくなってきた。

 

麻山先生もデンバーに到着され、いよいよ世界大会だなと

気持ちもひきしまってきたのである。

 

しかしこの時はまだ空手道のスタート地点にも

立てていなかった事に、後日の大会を通して気付かされた。

せっかくの自由な時間もこの後の仕事を考えると

急に体が重くなる。

 

明日の休日を思うと疲れが飛んで急にがんばれる。

 

人間はなかなかうまく生きられないものである。

しかし自分を不自由にしてしまっているのは結局自分自身であり、

気の持ちよう、心のおきかたで自由を手に入れる事ができるのではないだろうか。

 

最近サバキが良く決まる。

良く決まるので楽しくなりたくさんやっていると急に力んで決まらなくなる。

空手をやっているとそういう経験を少なからず経験するが、

これも結局気持ちの問題である。

 

何かにとらわれていると自由に動けなくなってしまう。

 

日常で言うと不安やストレスになり、

試合で言うと反則、負けにつながる。

 

以前大会で、つかみの反則を続けて失格になった選手がいた。

試合直後に黒帯の先輩がつかみ方が悪いと指導していたが、

反則をしようと思ってする馬鹿はいないわけで、

これも結局気持ちの問題である。

「勝つこと」にとらわれすぎた結果、

相手を睨みつけることになってしまい、力んで反則になる。

普通にやれば一本とれる試合だったのに。

だから先輩にはその選手の意地悪な部分を正してやって欲しかった。

 

空手の修行するからには空手の技の習得、強い身体を鍛えるのは当たり前

のことだが、

それと並行して、日常や道場の中で

心の在り方を稽古しなければいけない。

 

礼儀、節度をわきまえる。

必要以上の欲を持たない。

自分に厳しく行動し、人に優しく接する。

どこの道場でもやっていることだ。

ただの形式にせず、心のありかたに注意して

基本や型と同じくやるべきである。

 

ルールを守り、

自分を律した生活をし、 

後の仕事にとらわれずに時間を過ごし、

楽にかまけず時間を過ごし、

人と仲良くし、

来るものは拒まず、去る者追わず、

困った人がいれば助け、

喜ぶ人がいれば祝う。

 

だけどそれが難しいんだと思うが、

私の好きな剣術家の言葉をかりると

「幾重にも稽古じゃ」

ということである。

 

全日本大会後、麻山先生の許可を得て、高知支部へと出稽古に行った。

南国市警察の真向かいに建つ、三階建の二階が高知県本部道場だ。

広い面積の道場は、青色のジョイントマットが敷き詰められ、正面には神棚、掛け軸、世界大会優勝の刀が飾られ、後方には、土居支部長手作りの事務所がある。

事務所の中には、空手の雑誌やサバキチャレンジのビデオがならんでおり、興味深く見ていた。

大阪支部以外の道場で、稽古をさせてもらうのは、初めての経験だったので、とてもワクワクし、嬉しかった。

 

発足間もない高知支部は、まだ白帯と青帯の道場生だけだったが、基本から捌きまで高いレベルでの稽古であり、驚いた。

 

そして、その当時の道場生が今黒帯を締め、高知支部の指導員となり、活躍している。

少年部においても、まだ私の腰くらいまでしかなかった刈谷義貴、田畑勇気、大西愛美

が白帯だった。

彼らは、皆私の身長を追い越し、一般の大会でも活躍している。

先日の関西大会でも、刈谷義貴と岡村雅希の高知支部の2人による"一般Bクラス決勝戦"は鳥肌がたった。

 

097.JPG

     2009サバキチャレンジ関西大会で、決勝戦を戦った刈谷義貴、岡村雅希

 

099.JPG  小学5年生の神野卓人
  小学6年生のクラスに出場し、全試合技アリ以上をとり優勝 

 

その他にも高知支部の一般、少年部の道場生の空手のレベルは本当にすごい。

そして、特徴として、皆が土居支部長の心と技をしっかり受け継いでいる。

 

土居支部長の組手は、鋭く倒しにかかる打撃技に、曲芸のように美しい捌きの技術である。

そして何より、土居支部長は「人とのつながりを第一にし、誰とでも、真剣に向いあってくれる」 

私も、全日本大会で出会ってから今日にいたるまでたくさんの事を学んだ。

 

広島支部から地方大会に選手が出場すると、どうしてもセコンドや応援の数が少ない。

そんなときは、高知支部の指導員、道場生、そして父兄までがパンフレットを調べ「銀司!がんばれ!」「ひなた!下がるな」と応援してくれる。

 

そんな愛情たっぷりなつながりに、生徒も私も成長させてもらう。


私の試合の目標は土居支部長だった。

勝ちたいとかそういうことよりも、もう一度、土居支部長と真剣に向き合って、自分の力のありったけをぶつけたい。

勝負である限り「勝ちたい」のは当たり前だが、ただ純粋に本物の武道家と真剣に組み手が出来ることが嬉しかった。

 

しかし、2004年の世界大会で土居支部長は現役を引退された。

その大会では、土居支部長とおなじミドル級でエントリーし、順当に勝ち上がれば決勝戦で対戦することができた。

 

しかし私は準決勝で敗退し、夢は叶わなかった。

 

ライト級では、同門の長石と三村が、決勝戦で対戦し"三村が世界チャンピオン"に...

ヘビー級では、総本部の"マイクがヘビー級で2階級制覇"を成し遂げ...

女子部では、同門の"岩井寿子(旧姓野村)が堂々の連覇"を果たしていた。

 

皆がそれぞれ目標を達成し、メダルと優勝トロフィーの刀を手にし、私ひとり、手ぶらで情けなかった。

皆が記念撮影しているときも、顔では「おめでとう」と笑っているものの...本当のところはすぐにでもその場から逃げたかった。

 

すると...土居支部長が私の肩をたたき「大策は本当にえらい、ちゃんと毎回強うなって大会に出とるき、どんな気持ちで稽古してきたか、組み手見ててたらようわかる」と言ってくれた。

そして「二人で写真を撮ろうか」と言って、首に掛けていたメダルを置き、トロフィーの刀も置き、空手衣ひとつの姿で、写真を撮ってくれた。

その土居支部長の気持ちがとても嬉しいと同時に、情けない自分だが、必ず優勝しようと強い決意ができた。


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  合宿での一枚

 

その後大阪に帰り、麻山先生と道場で何か話しているときに「土居支部長みたいな技が、鈴木支部長みたいに...」と私が言うと「誰みたいにじゃないよ、お前は竹内大策の空手をやって、竹内大策みたいになりたいって言われるようにならないとな」と言ってくれた。

 

その時、私は2005年 ヘビー級に出場することを決意した。