2008年のサバキチャレンジ世界大会で、麻山先生に一冊の本を貸していただいた。
先生いわく「特に物欲というものが無いんだけど、しいて宝物といえばこの本だな」
と言って見せてくれたのが山岡鉄舟・著「剣禅話」だった。
江戸時代末期から明治維新で、活躍した剣と禅と書の達人、山岡鉄舟の代表作である。
今この剣禅話は文庫本などで、リニューアルされて発売されているが、麻山先生にみせてもらった本は、昭和中期ごろに書かれたもので、山岡鉄舟によるそのままの古い文体のものと、それを現代文で訳してあるものが書かれていた。
「たまたま入った古本屋で見つけたんだよ」
というこの本に、私はなにか運命めいたものを感じた。
これより以前に「大策、本は体で読むんだよ。それができたら空手がわかるよ」
と麻山先生から聞いたことがあった。
その時、先生の言っている意味が全く理解できなかったが、これは何かある!
と思い、お侍さんや空手家の本をあさっていろいろと試してみた。
背筋を伸ばしてみたり、本の真ん中に自分の正中線を合わせてみたりしてみたが
わからなかった。
デンバーに滞在中は、総本部道場の内弟子寮に泊めていただいて、試合までの一週間、試合の緊張感をずっと感じていられるように気を付けて生活していた。
稽古も用事も何もない時間は、先生に貸していただいた剣禅話を読むようにしていた。
2005年から私はヘビー級で試合に出場させてもらっていたのだが、やはり試合の前になると恐怖と不安で一杯になる。
何もしていないのに急に息がとまって苦しくなったり、手先や足先に血が通わなくなって冷たくなったりした。
それでも自分の決めた目標のために「絶対さがらへん、絶対さがらへん!」と言い聞かせていた。
寝てるとき以外は常に試合会場にいて出番を待っているつもりでいた。
いつでも戦える姿勢でいようとしていたのである。
そういう姿勢のまま剣禅話をよんでいたのだが、自然と体で本を読んでいた。
本に書いてある事を読んで、理解するというよりも、その書いてある内容を実感するという感じである。
山岡鉄舟の剣の技がものすごくイメージできて、今一人で稽古したりするのにこの感覚がとても役に立っている。
本を読んだというより、本を体感した。
うまく言葉にするのが難しいが、例えば、とても熱いやかんに触ってしまったとき、とっさに手をどけてしまう。
その時「熱いやかんに触ってしまった!このままでは火傷してしまうので早く手を、このやかんから離さなくては!」と頭で考えて行動していたのでは火傷してしまう。
熱さを頭を介さずに、直接体に感じて行動しているから、無意識に手をどける行動ができる。
私が剣禅話を体で読めたのは次のような要因があったのであろうと思う。
この本が麻山先生の宝物で、それを私に貸してくれたという感謝の気持ち。
いつでも戦えるように姿勢を崩さないでいたこと。
要するに、本と真剣に向き合っていたということだと思う。
これは組手でも同じではないだろうか。
相手と真剣に向き合い、力ずくや、わがままな攻撃をせず、相手を体の感覚で捉えて倒しにかかる。
サバキが決まったり、相手をKOするときというのは無意識だったり、当たった感覚がない。
さらに流れている時間もスローモーションになったりする。
そういう現象は「真剣さ」からきているのだろう。
その「真剣さ」をだすためには内弟子寮の時のように、生活から正していかなければならない。
その年の世界大会では、優勝したもののポイントを取ったわけでもなく、KOしたわけでもない、決してほめられるような内容ではなかったのだが、初めて「勝った」という実感があった。
きっと真剣だったのだろうとおもう。
その後剣禅話は全て読みきらずに麻山先生に返却した。
麻山先生の剣禅話には、麻山先生の気もちや感覚が染み込んでいて、またその強い気持ちが私にも伝わり、いろんな体験をさせてくれたのだろう。
真剣に本を書いた人の本というのは生きている。
売上のために書いた本と真剣に書いた本とでは全然違う。
生きている本は何度読んでもその度に新鮮であり、
自分のレベルがあがれば、また本の内容もレベルアップしている。
そういう生きた本とたくさん出会える事が出来ると嬉しい。
麻山先生と同じ剣禅話を古本屋で探しているがなかなか見つからない。
今の自分がもっともっと空手を理解し、真剣に生活できるようになったらどこかでめぐり逢えると思う。その時を楽しみに日々精進する。
コメントする